水無沼 秋2 [藤里町]
あるもの探し発表会 [藤里町]
町制施行50周年記念の餅まき大会。残念ながら飛んでこなかったー><
藤里町民の方々の自宅に眠っていた古い写真を飾るタームマシーンカフェもやってます。
昭和初期の町並みや駒踊りの様子、昭和30年代の大洪水、自分と同年代の方々の幼稚園の頃の写真等々、非常に興味深く、町民の方々も懐かしげに鑑賞されていました。身近な写真ってやっぱりいいですね。
興味深いと言えば、ふじさと地元学の発表会がありました。
多くの方々が協力したこの発表会。発表は未来を担う中学生たち。彼らが見た、感じた藤里町の様子はどうだったのでしょうか。調べた内容も豊富で、水源だったり屋号マップだったり、パワースポットや神社の秘密、空き家の数、商店街のあるものないもの等々。例えば
・ラッパという屋号は戦時中にラッパを吹く係だったから
・しらがという屋号は「白髪」が由来じゃない
・調べた地区には3つの水源があったけれど飲用水に使っているのはひとつだけ
・「トレビアン」と「かもや」。創業が古いのはトレビアン
・藤琴地区にある床屋さんは5軒
・十六貫トンネルの十六貫とは、鉱山があったころの名残。十六貫=約60kg。明日から六十㌔トンネルと呼んでみる?
・田中の大銀杏は一晩で葉を落とすらしい。それを見たら死んじゃうらしい><
・大沢には忍者山と忍者屋敷というものがある。忍者屋敷は地区の方が建てた町おこし建物
・大沢には「おひさま」といわれて神が祀られている場所がある。
・大沢の熊野神社は別の場所にあったけれど、洪水の影響等で今の場所になった。
・粕毛の名物そばは、由来を知っている方がほとんどいなかった。
・粕毛で酒米も作って、蕎麦・天ぷら・日本酒の粕毛定食をつくってみたらどうか。 中学生はジュースだぞ!
・cafe 岳の二階では「じゃっぷう」が食べられる。
・藤琴の由来は浅間神社の境内の木から琴を作って帝に献上したら、素晴らしい音色だったので「不二の琴だ!」→藤琴らしい
・ゴミ箱は「護美箱」と書く。
・浅間神社は「藤権現」といって、藤→富士から、富士山を祀る浅間神社になったらしい。
また、大学の卒論も兼ねた研究チームでは
・大沢地区は切妻・南向きの家が多い。これは同じ大工さんが建てたの?
・柿を植えている家が多い。小柿もあった。珍しい! 食べたら甘いけれど渋い → 会場の方から「小柿は雪の上に落ちてくる頃が食べごろ」
・渋谷109の水着ショップ「PEAK&PINE」実は大沢地区で作ってる。made in 藤里である。
※高級化粧品アルビオンも藤里町に研究所を持っています。こちらもmade in 藤里であります。
・多くの家をブロック塀が囲っているけれど、高さはそんなに高くない。防犯よりも境界の明確化が理由? 家庭菜園はブロック塀のかげに植えている家が多かった
。
大学の先生による総評のなかで、
・先入観を捨てること
・自分が調べた地区とは違った地区も調べてみよう。
・モノの調査が多かったけれど、技術の調査もしてみては。
外からの新たな視点が地元再発見のひとつと思います。
田舎暮らしをしていると都会に憧れるものです。高校を卒業して都会に住んでみて、お盆や年末年始に帰省してホッとするのも、都会にはない何かがあるからじゃないでしょうか。
発表会の後に行われた聞き書き朗読も素晴らしかったです。
中学生や他県・他地域出身の大学生等が質問したことに対する回答を老人の方々の言葉そのままに書き出したものでした。脳内変換だとスッとわかるのですが、書き出すとなるとその作業はやはり大変だったそうです。90分のお話を2日かかったとか。
資料もいただいたのですが、見ずに耳で聞くのが親近感をより感じました。
いずれは500部ほど製本したりHP上にUPするらしいですが、CD等に音源として記録するものいいのではないかと思いました。
ちょっと感じた藤里の方言ですが、
語尾に○○た「った」と付けることが多い。頑張った「った」よ(頑張りましたよ) やったったよ、あらったよ(ありますよ)等々
○○は~(「わ」じゃなくて「は」)といった使い方。今だばは~(今ならな~)、よいでねがったは~(大変だったな~)。男鹿でも使いますが、語尾で使用することはあまりないですが、藤里では語尾でも使うような。
タイムマシーンカフェは11/9までやってますので、ぜひご覧になってみてください。秋田の郷土史を知る貴重な場でもあります。
タグ:あるもの探し
峨瓏の滝2013秋 [藤里町]
だいぶ色づいてきました。麓も秋見ごろです。
11/1より、町制施行50周年記念ウィークとして催し物がある藤里町ですが、11/2はついにふじさと地元学の発表会があります。浅間神社の不思議から白神山地に迫った菅原道真崇拝説は当然のごとく発表の機会なんてありませんが、頑張った方々の発表を非常に楽しみにしています。
一応、発表会終了後には浅間神社の宮司さんに神社名の由来など私なりの想像(妄想)を交えつつ聞いてみたいと思いますが、どうなるやら。
素波里不動滝 [藤里町]
素波里ダム周辺は紅葉が進み、10月下旬には見ごろを迎えそうな雰囲気でしたが、不動滝の周辺はまだ色づきが遅いようです。峨瓏の滝ももうちょっとかかりそうでした。
冬真っ只中にスノーシューを履いて訪れた時と違い、全景を眺めると滝の裏側にも歩いていけますね。
滝周辺の岩にはプルプルしたゼリー状の苔?がビッシリ生えていて、雨に濡れて、つやっつやでした。
素波里神社付近も昆虫たちの声がなくなり静かに。
真夏に庚申塚探しで訪問した時は、とてもじゃないですけれど車から出ると刺されまくる気がして、泣く泣く帰ったこともありました(笑
結果的に、素波里神社で庚申塚は発見できませんでした。
バスケットボールの強豪校・能代工業を築いた加藤監督は藤里町の出身だったのです。
狛犬の台座の「紀元2590年」っでなんだ?と調べてみたら、西暦じゃなくて皇紀なんですね。昭和5年だそうです。菊池友蔵氏が寄贈。ちなみにこの年は庚午(かのえうま)です。
境内には天保5年(1835年)の石灯籠がありました。甲午(きのえうま)だったそうです。
午の年と何か関係あるのでしょうか。 駒踊りと関係あるのかな? たまたまなのかな。
さらに石灯籠は、飛根村山本氏の寄贈のようです。
飛根村とは、旧二ツ井町にあって旧能代市と隣接する地区。飛根村>駒形村と合併し富根村>二ツ井町と流れてきました。ここは切石地区と隣接し、切石地区はその名の通り石材の切り出しが行われていた地区だそうです。
やりすぎ反りすぎ秋田すぎ [藤里町]
藤琴地区から権現の大銀杏を過ぎると、素波里ダム方面への左折道があります。
ちょっと進むと、そこには大きく幹を反らした杉がありました。
何か幹の先端に欲しいかのごとく。でも、なにか載せたらボキッといきそうなナイスバランス
タグ:勝手に珍百景